「理由があるはずなんだ、僕たちが友達になったのには……君が僕を見つけたのには」──『ハリーポッターと呪いの子』日本版を観た記録とあれそれ

ハリー・ポッターと呪いの子」日本公演をみてきました!!!楽しかった!!!!ロンドンのyear4時代に魂置いてきてるおたくでもめっちゃ楽しかった。日本公演が決まった時はどうなるんだろうどうなるんだろうと思っていたけど無事楽しめたのでよかった……。

劇場入った時にロンドンでみたセットがそのまま置いてあってすごいテンションあがったし、三年ぶりにワンドダンスやVマーチみれたのがうれしくて泣きそうになった。

フォロワーさんの豪運で魂が吸われる席こと2階の最前列にはいらせてもらったので、すごい観やすくて大感謝でした。

前置き

日本版呪いの子についての感想、というよりは8割「このバージョンの編集の意図とは一体」みたいなことについて個人的な意見をつらつらと書いています。つまり8割方アルバスとスコーピウスの話ですご了承ください。

やっぱり観ながら脚本ガバガバだな~ってのは思った。思ったんだけど、板の上にのるとそのガバ具合が役者の芝居とか演出とかの演劇力でねじ伏せられていくのがおもしれ~し楽しいんだよな呪いの子って。そうそうコレコレ!!!!となる。どんどんロンドンで初めてこの芝居みたときの記憶とか感動が戻ってくる心地がした。

 

以下じゃんじゃんネタバレするのでご注意ください。

当日のキャストは以下の通り。

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日本版(編集版)をみて

演出は想像以上にオリジナルをそのままもってきてくれててすごい感動した。もう次にいつみれるかわからないと思っていた「魔法」の演出やダンス、モーションをもう一度観ることができて本当に嬉しかった……。

実のところ一幕ラストのディメンターが降ってくるところは舞台上だけかもしれないとか、二幕途中(スクリプトでいう三幕ラスト)のブラックライトで文字が浮かぶところとかは一階席だけになっちゃうんじゃないかとか、いろいろ勝手に気をもんでいたのだけど完全に杞憂でした。失礼いたしました。ACT大改修しただけはあるね……。ディメンターが降ってくるところも、予言に劇場全体が呑まれてしまうところも、迫っている危機が視覚的に感じられて圧倒される。フルバージョンだと予言がばっと劇場全体に浮かんだあとに幕間に入るのであのシーンを初めてみたときの衝撃がすごく印象に残っています。ただ予言だけカタカナになってたのは、どうして……と思ったり……ほかのところ英語だったから予言だけカタカナにしたのは浮かない……? 英語じゃあかんかったか……?

 

編集について。今回一番不安だったポイントです。フルバージョンではなくてBWで編集された版を上演するって聞いた時はひとしきり大暴れしたし、自分でみるまでずいぶんと鬱々としていたのだけども、思っていたよりもかなりよかった。舞台版が初見のひとが違和感を覚えない程度にシーンやセリフが巻いてあり、このバージョンしか見てない人はついていけないんじゃないかなという不安はなかった。もちろん私はオリジナル版が好きな人間なのでここないんか……という落胆はあるものの戯曲を読んでいて感じた冗長さなどは取り除かれていて、これはこれでひとつの「呪いの子」としてまとまっていたと思う。

 

編集版がとことんアルバスとスコーピウスの話だということ

でもね、やっぱりなんでここがないの!?って思っちゃうわけよ。オタクだもの。仕方ないね。だから、切られたところと残ったところについてなんでその取捨選択がされたのかを考えてみたんだけど、このバージョンはとにかくアルバスとスコーピウスの関係を描いてるんだなと思うに至りました。

 

呪いの子はそもそも「アルバスとスコーピウスの話」のほかに、「ハリーとアルバスの話」「ドラコとスコーピウスの話」「(エイモスやデルフィーを含む)父と子の話」「ポッター親子とマルフォイ親子の対比」「父としてのハリーとドラコ」、そこからさらに「ハリーとドラコの関係構築のやり直し」などなど、たくさんのストーリーラインが平行して描いてある。でも全部やってたら到底時間が足りない。じゃあこの中から一個選ぶってなったときに「アルバスとスコーピウスの話」を選ぶのは大解釈一致ですね!!!そりゃそうなのよ!!!(誰?)

結構「えっここ削るの?」って思ったシーンやセリフはあったんだけど、とりだして考えてみるとそれって「親子」のシーンだったり「ハリーとドラコ」のシーンのセリフだったりする。例えばハリーの幼少期の場面であったり、三幕の闇の世界でのドラコとスコーピウスの会話であったり、ドラコがハリーに「(ハリー、ロン、ハーマイオニーの関係が)羨ましかった」というセリフであったり。

 

アルバスとスコーピウス関連でカットされたところをみてもそう思う。

“there’s a reason – we’re friends, Albus – a reason we found each other, you know?”(英語版スクリプト88ページ、ハーマイオニー武装本棚を発見する直前のセリフ)

このセリフ今回のブログのタイトルにするくらい好きなんだけど、編集版にはなかった。ここの自分と親友の関係に必然性を見つけようとするスコーピウスくんが好きで……。最初は何で削ったの~~!!!って思ってたけど、この「理由」って要は父親関係のことなんだよね。二人が出会って、友達になって、それから「試練」を乗り越えることが、ここで言われている理由にあたる。

二人のはじまりもそうだった。

ホグワーツ特急でアルバスがスコーピウスのところに残るって決めたのは、スコーピウスに対して「何か通じ合うもの」を感じたからだ。

スコーピウスとアルバスは顔を見合せ、何か通じ合うものを感じる。(日本語版スクリプト21ページ、ホグワーツ特急内でのト書き)

このシンパシーは、直前にスコーピウスが言った「父と息子の問題」に対するものだと思う。生まれに起因するシンパシーはこのちょっと前のスコーピウスの自己紹介のところからはじまっている。

「君はアルバス・ポッターで、彼女はローズ・グレンジャー‐ウィーズリー。僕は、スコーピウス・マルフォイ」(日本語版スクリプト21ページ)

スコーピウスが全員の名前をわざわざフルネームで言ってるのには、君たちはどうせここには残ってくれないよねという諦めがみえる。あるいは、君たちは僕と仲良くなるべきじゃないよという忠告にも思える(ちなみに今回の斉藤くんは前者にみえた)。けれどこの言動がむしろアルバスの興味を引いた。「父と息子の問題」を抱えていて、「ヴォルデモートの息子」なんて噂を立てられて色眼鏡でみられている自分と同い年の少年に「なにか通じ合うもの」を感じたんだろう。

ここが「理由」に繋がるし二人の「試練」にも直結するのだけど、どちらかといえば「親子関係」の修復のセリフにあたるのでこれらのセリフはカットされている。

 

削られたセリフとは反対に、「Try my life!」以降の図書館でのスコーピウスの長台詞はたったの一言も落とさず全て残してあることも、このバージョンで描きたいものがよく表れている。スコーピウスが初めてアルバスに対して負の感情を爆発させるシーンで、私が1番好きなシーン!!! 正味ここのカットが一切なかったので他のカット全部許したところある………………。なんたってTry my lifeを聞きに劇場に通ってたんだから……今回斉藤くんによるこのシーンも目をうるませながら叫んでいて素晴らしかった……。

 

追加されたセリフをみても二人の結びつきが強くなっている印象を受ける。ラストシーンのハリーとのシーンでのアルバスのセリフ(「スコーピウスが人生で1番大切な人」的なニュアンスのやつ)はわかりやすくそうだし、スコーピウスがローズに友達になってと言った後のセリフもそう(その宮殿に二人で住むの……?みたいなやつ)。スコーピウスがローズに対して恋愛感情を持っているって設定がほぼ消えているし、アルバスがデルフィーに惹かれていたのも控えめに描かれているし、デルフィーがスコーピウスに話しかける場面もカットされているし、「二人の関係に対する介入」を削れるところまで削って観客の焦点をアルバスとスコーピウスに集中させたいって意図を感じた。今回のアルバスとスコーピウスのお二人の演技プランからもそれを感じました。

あとディメンターを追い払うところの微妙なセリフ変更とかもそうだよね……挙げているとキリがない気がしてきたな。

こうしてひとつひとつ切り取って考えるとほとんどの改変は私の中で納得がいくものだったので、これはこれでひとつの「呪いの子」として受け入れられるなと思うことができた。

 

ただ、一度目の改変世界でアルバスがグリフィンドールにならなかったのもこのへんのことが理由なんだろうか……。ここだけは変えた理由がわからない。組分け変更の意図が「アルバスがグリフィンドールにいても父親との関係改善はされてないので父子関係の不和の原因はスリザリンに寮分けされたことではない」のを示すことだから……?でも、「たとえ寮が違っても親友同士のアルバスとスコーピウス」って結構重要だと思ってたんだけどな……。変更点で1番のびっくりポイントでした。

 

翻訳について

丸々変更されてましたね! 版権の問題かな?

より自然な日本語になっていて全てにおいてこっちの翻訳の方が断然好きだった! 感謝!!! これがいい!!! 現代の子たちのセリフとしてよりしっくりくるようにしてくれた。アルバスがスコーピウスの前ではハリーのこと「親父」って呼んでるのに本当は「パパ」なところとか思春期を感じて最高でした……。スコーピオンキングがスコーピオンプリンスになってたのは突発で笑ってしまった。なんでなんだろ。BWで今回のバージョンが作られた時にキングがプリンスに変更されてたりしたんか???

というか既出の翻訳と同じワードを同じ箇所で使ったらいけない制約でもあったのだろうか。松岡訳だと「よけい者」って訳されてたところは舞台版だと「スペア」になっていた。これについてはそもそも原文が”the spare”なので特になにも思わないんだけど、この「よけい者」ってワード自体は舞台版の別シーンででてくるんだよね。列車から飛び降りた後のエイモスの前での”we’re not wanted.”(英語版スクリプト69ページ)が「よけい者」になっていた。そんなに普通に出てくる単語ではないと思うんだけど、既出訳に登場した単語をあえて使ったんだろうか。

それから、1箇所明らかにこちらに対して“目配せ”があったのでテンション上がってしまった。“Friends?”  “Always.” のところ、松岡訳だと「友達だよね?」「いつまでも」になっていたのが舞台版は「永遠に」になってて、この、“always”を「永遠に」って訳すのは……ファンサじゃん!!!!!って思ってテンション上がりました。今回の翻訳版のスクリプト(もちろん編集版の原語スクリプトも!)めちゃめちゃ売って欲しい。もしどこかで手に入るよって情報があったら教えてください。

 

それはそうとフルバージョンもみたい

それはそう。

闇の世界でのドラコとスコーピウスのやりとりも、ポリー・チャップマンにダンスパーティに誘われてびびるスコーピウスも、ハリーとドラコの対話も、全部全部みたいです。よろしくお願いします。ある程度このバージョンの上演が続いたあととかでいいので、フルバージョンのオリジナル版を上演してほしいよ……。闇の世界にはいってすぐアンブリッジ校長が「スネイプ先生」って名前を出した瞬間にあっこれ一気にスネイプのところまで飛ぶな……と察したときの哀しさたるや。あとこれはもうスコーピウスのおたくの戯言なんだけどデルフィーに「予言は破ることができる」と気付かせてしまったのがスコーピウスの賢さなところが好きだったから……命の危機に晒されている状態でもデルフィーに対して論理的に反論のできるスコーピウスくんをわたしにみせてください……。BWとちがって日本の観客にオリジナル版を観る機会を与えられなかったことへの不満は大きいので……。いつかで構わないからフルバージョンを日本でも上演してくれることを待っています。

 

 

役者さんたちいついて少々。

美山加恋ちゃん。何を差し置いても美山加恋ちゃんのマートル。大優勝だよあんなもん。かわいすぎるし声のトーンも表情のつくりかたもなにもかもがマートルそのままで天才すぎる。ブロマイドを売ってください絶対に買うので。

アルバスの福山康平君は、体格がLDNyear4のDominicくんに似ていて登場の瞬間はわわ……となってしまったし、アルバスの人付き合いにおける不器用さや思春期の鬱屈とした感じが台詞やお芝居の端々から滲んでいて素晴らしかった。

斉藤莉生くんのスコーピウスはあのギークな喋り方が私のスコーピウス像ピッタリでびっくりした!!!!そう、これ、これがみたかったの……と思って……。感謝しかない。初舞台なの信じられんが……。

ドラコの宮尾俊太郎さんは響いた瞬間はっきりとわかる低音のお声が素敵だったし、スコーピウスのことを「私の後継ぎ」から「家族」と言い直したシーンの情の滲み方が好きだった。

ローズの橋本菜摘ちゃん、戯曲を読んだだけだときつい性格に見えがちなローズを可愛らしく溌剌に魅力的に仕上げてくれていて、これまでみたローズの中で一番すきでした!ちぎさんのハーマイオニーは革命家のハーマイオニーの時の発声がバリバリ男役発声でちぎさんだな……と思いました。

 

最後にひとつだけ……観劇時私とフォロワーさんを挟んだ両サイドの観劇マナーが終わってて……めっちゃ前のめりだったしちょこちょこペットボトル出して飲んでたし……。開演前と幕間のアナウンス、スマホのことだけじゃなくて前のめりにならないでね、っていうのとか、観劇中の飲食はやめてねっていうのとか、もっといろいろ言うべきだと思うのよね。普段観劇しない層がみにくるからこそ。また観に行きたいのでそれまでに状況が改善されていて欲しいです。

 

それはそうとこうして手の届きやすいところで呪いの子の上演が始まったのは本当に素晴らしくて喜ばしいことだと思うので、日本に持ってきてくれてありがとうございます。2年前推しのHPCC卒業公演がコロナで飛んだ私の魂も少しは救われた気がした。改めて大感謝!!!!

 

ちなみにロンドン版の感想はこちらです↓