「とみゆり」こと『富美男と夕莉子』の感想

公演二日目にみてきました。発表時からとても楽しみにしていて、事前のツイキャスやハブレンの同時再生会でさらに作品への期待度が高くなった演目。

作品に対して期待していた部分はしっかりみせてくれたし、さらに演出やアプローチの仕方が新鮮で面白く、すごく好きな作品でした。

 

まずシンプルに作品の構成が良かった。

ロミジュリをやる上で「二人が死んでいるところから描く」という逆再生的な演出自体はさして新しい試みというわけではないと思う。ただそこから「ページがバラバラになった交換日記」という媒体を使って時系列をぐちゃぐちゃに入れ替えながら二人がどんな運命を辿ったのかを明らかにしていく構成が面白かった。物語が組み上がったあと、最後に「出会い」のシーンに持っていって2人の運命の起点を描き直すのもうまい。作中ずーっと残された弁太郎や両家の両親が「あれさえなければ」「これさえなければ」と言っているなかで出会いのシーン、エモい。きっとラストの場面は出会いの場面になるのだろうなってわかっていても二人の運命を感じて描き方が上手いと唸ってしまう(とみゆり音頭には度肝を抜かれたけれど)。冒頭とラスト同じ口上がくるのもいい。周りがなんと言おうと二人にとっては起きたことが全てだし、結末を含め愛しているし、それについてガチャガチャいうな!という運命ごと受け入れる気概が好きだった。この二人の度量の部分がこの作品を悲劇に収めずコメディたらしめている1番の理由だと思う。

事前公開のインタビューで交換日記を使った構成と弁太郎が狂言回しになるって情報は開示されていたので、弁太郎がスペクターやグランギニョルにおける石舟や春林のような役割を果たすのかなと思っていた。でも予想以上に交換日記が時系列入れ替えの道具としてうまく使われていた。ただ単に逆再生をするのではなく「どうして逆再生的に物語が展開されるのか」という理由付けにもなっていたし、「途中でページがわからなくなってしまって一度読んだページをもう一度演じてしまう(しかもいいところで!)」みたいな笑いのフックにもなっているのがしみじみ面白い構成をしているなあと思いました。赤色をしたページが上から降ってくる演出も綺麗だった。全体的に舞台上の絵作りが美しくて素敵でした。ところで富美男と夕莉子の二人以外は白塗りなのは二人が書いた「日記の中の登場人物」だからとかなんかな。

シーンの組み換えと構成がほんとうにすごかったので、これは反対にロミジュリ全く知らない状態でみたかったなとも思った。ロミジュリを知っている観客は「これは〇〇の日の日記!」ってセリフを聞くだけで全体の流れのどこにその場面が差し込まれるのかすぐにわかるけど、知らないと全然違った観劇体験になりそう。ロミジュリの記憶を消してとみゆりをもう一回みたい。

 

翻案について。ハブレンを見終わった後の最初の感想がおもったよりハムレットじゃなかったなという感じだったのだけど、今回はしっかり「ロミジュリ」だったなという印象。かなり話を弄って人情モノに仕上げていたハブレンに対して、話の大筋はほとんどいじらずに、それでもしっかりコメディとして仕上がっているのが面白い。これはもともとも脚本がもつ性質によるところがあるのかな(ハムレットも結構コメディだなって思うとこあるけども。ポローニアス刺しちゃうくだりとか)。末満さんご本人も言っていたようにロミジュリって読みようによってはだいぶギャグなのでその要素がかなりうまく使ってあったと感じた。ロミオが死ぬところをあそこまでギャグに振り切るのはすごい。ロミオが毒を飲んでから死ぬまでの間にジュリエットが起きちゃって、ジュリエットの目の前でロミオが死ぬパターン自体は何度かみたことがあった。ただあそこまで笑いに変えてくるのは思い切りが良すぎる。その後普通にシリアスなシーンに戻るのが反対に面白い。

セリフに関しても一箇所期待していたセリフを期待通りに使ってくれたところがあってとっても喜んだ。「ロミオの追放はティボルトの死一万人分より悲しい!」です。このセリフは前々からジュリエットひでえ~と思っていたところで、今回コメディっぽいアプローチをするって聴いたときからそのまま使ってギャグにしてくれないかなって思っていたセリフでした。コメディに昇華してくれて大大大満足。ひばりが雀になってるところとかもふふふって思いました。末満さんが上手く訳せたんじゃないかといっていた牧やんの最期の台詞は、実のところあまりピンときてないのだけど「ヤクザは嫌い」であってるのかな。牧やんが堅気でやくざそのものに苦しめられてきた背景があるからこその台詞だなと思ったんだけど該当箇所が間違っていたら申し訳ない。わかる方教えて欲しい~。「両家ともくたばっちまえ」に対応する台詞だと思ってたんだけど違うんかな。

あとロザラインこと「おざわりん」は不意打ちだったのでめっちゃ笑っちゃって。周りで笑ってるのわたしだけだったので少し恥ずかしかった。よくここまで母音ぴったりおんなじの日本人名を思いつくなあ……。

コメディなシーンとシリアスなシーンの塩梅が、前半は笑いのシーンとシリアスなシーンが激しく行き来する感じでそれはそれで面白かったのだけど、後半になるにつれてその境がなくなっていって客席をどんどん泣き笑いの状態にしていったのが凄かった。

逆に原作から大きく変わっていたところで一番好きだったのがさとこちゃん。彼女のおかげでティボルトこと千代蔵が完全な悪役にならずに済んでいたように思う。ティボルトに対する脚色としてちょうどうまい塩梅だった。ティボルトは原作だとほとんどバックグラウンドが描かれない。ミュージカル版だと心情を語るソロナンバーが与えられており、ジュリエット及び彼女の家との関係も深堀りされているのでかなり寄り添いやすいのだけど、実は原作だとそのあたりはだいぶあっさりしている。だからどの程度ティボルトに脚色を加えるかは完全に潤色する人の裁量次第。ティボルトがジュリエットに片想いをしている設定ってもともとないんですよね(今回原作を読み返すまで結構忘れていたんだけど)。だからティボルトこと千代蔵はどうとでも描きようがあるなと思っていて。千代蔵はかなり「どうしようもないやつ」という印象だった。生まれた家のせいでああなってしまったのだろうなと感じつつも家名への「誇り」があるわけではない。牧やんを刺してしまったあとは「俺は悪ない!」と言いながら逃げ続ける。どうしようもないやつなんだけどさとこちゃんが隣にいてくれるお陰で彼女と一緒に千代蔵という役に寄り添うことができるなと感じた。このあたりの絶妙な改変のバランスもいいなあと思う次第です。ちなみにハブレンの記事(コレ『ハムレット』と『羽生蓮太郎』、「復讐悲劇」と「人情喜劇」―ハブレンの感想 - 自由研究帳)のラストで(ハブレンだと結構キャラの生死が弄られてたから)「もしかしたらティボルトが生き残るかも!」ってそわそわしてたのに前説で死ぬって言われて望み絶たれるの早すぎて笑った。

 

役者さんのお芝居も皆さん素敵で、本当に2時間楽しくみることができた。つくづシェイクスピアを面白く描くなあと思う。ぜひとも別演目もみたい。悲劇だけじゃなくてもともと喜劇として書かれた台本もみたい。トンチキ「真夏の夜の夢」とか。あとこれはシェイクスピアではないのだけどれみぜやんをどこかで見ることは叶わないのだろうかと永遠に言い続けてしまう。脚本だけでもよみたい……。いつかどうにかならないだろうか。